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2010年1月18日

本当なら


この週末、僕の生まれ故郷の札幌ではスキージャンピング、ワールドカップが開催されていた。

ここ数年、毎年のように観戦に行ってたけど、今回はテレビ観戦となった。

個人的に雪印所属の岡部選手が代表に選ばれたことがうれしいんだけど、史上最多のオリンピック出場となった葛西選手の活躍に期待している。

アプローチを滑り降り、マイナス11度のカンテを、かかとからつま先にかけてスムーズで力強く時速88キロに達した体を重心移動しながら空中に投げ出す・・・

シモン・アマン選手もうまいけど、葛西選手はやっぱり世界トップレベルだと思ったこの2大会。

一ヶ月後に始まるオリンピック。

個人のメダルはまだ厳しいと思うけど、ぜひがんばってもらいたい。

葛西選手のヘルメットにも書かれているけど、吹け「神風!」。

2009年12月22日

日の丸飛行隊復活の兆し!?

W杯第6戦にして伊東選手が表彰台に上がった。

あ、スキージャンプの話です。

この季節になると、スカイA+でジャンプを放送してくれるから助かるわ。オプションチャンネルとしてイーグルスの試合を見るために毎月余計な金を払ってまで見れるようにしていたチャンネルだからね。

長野オリンピックで世界一と言われた船木選手の飛形だったんだけど、レギュレーションの変更であのスキーの先が耳の横に来るようなスタイルだと距離を稼げなくなった。

・・・、と言われていた。

事実、その船木選手でさえ懐で風をため、パラシュートのように風圧を受けながら飛ぶ飛形へチェンジしていたほどだ。

岡部選手、葛西選手はいち早くその飛形へチェンジできていたから、30代後半となった今もワールドカップに日本代表選手として参加できている。

なんて書きながら、その6戦で優勝したシモン・アマン選手の飛形をみて「あれ?」と思った。

懐で風をため込むスタイルなんだけど、板が耳まで上がってるのね。胸で風を捕まえていた感じの飛形から、今年上位の選手は腹から腰で風を受けて飛んでいる印象なの。

で、今回3位に入った伊東選手の飛形を見てもやっぱりそうなのね。

アプローチからカンテを蹴り、空中に身を投げ出してから着地までラージヒルで3秒ちょっと。

以前なら途中で体を動かすことが減点とされていたのに、今は飛び出した瞬間のスピードを殺さないようになるべく平たく前に出て、ランディングバーンに平行になるように徐々に前傾していって、K点の直前から少しでも着地を遅らせるために体をくの字に調整して、そして着地の瞬間に下半身だけそっと下におろす・・・。

より風を受け、飛距離を伸ばすためにと考案されたV字ジャンプも飛形減点2点より2メートル先に着地する3.6点を狙う事で勝てる、という逆転の発想?から産まれた形だけど、 今の空中での姿勢制御もその一つなのかもしれないなぁ・・・、とか思った。

見てても、着地コンマ何秒前の飛形は、手のひらをパーに開ききって、数グラム分でも風を体に受けル様なダイナミックなスタイルで、全盛期のヴィドヘルツルを思い出させる感じ。

日本人に不利にルールが改正された、と言われるジャンプの世界で、決して体の大きくないシモン・アマンが結果を出したり、もはやベテランで職人の域にあるアダム・マリシュ選手が結果を出してるんだから、日本人選手も新しい哲学を作り出して、さらに4年後のオリンピックでは札幌オリンピックの再現、表彰台独占を果たしてもらいたい物だ。

 

がんばれ、ニッポン! 

2009年3月11日

38歳4ヶ月

先日テレビで14歳で大倉山を飛ぶ女の子ジャンパーの姿を見た。
彼女はラージヒルを飛んだ最年少記録を12歳の時に塗り替えたそうだ。

そして昨日うれしいニュースが。

雪印ジャンプチームの主将、岡部孝信選手がワールドカップで11年ぶりの優勝。

それが38歳4ヵ月、最年長記録を更新だそうだ。
その前の記録が同じ日本人の葛西紀明選手の31歳だったってのも微妙な感じだけどね。

そして考えてみると14歳の女の子となんと見事にふた周り違うのかぁ、岡部選手。

岡部選手が38歳4ヵ月で最年長W杯優勝を決めた日、僕は39歳6ヶ月を迎えた。

はぁ、ずいぶん違う人生だなぁ・・・
きっと岡部選手は僕と同じ39歳6ヶ月を迎えたときにもラージヒル飛んでるんだろうなぁ。

一方で僕は明日半休もらってヘルニアの検査のためにMRIだもんな・・・

一度引退したアホネンという選手も復帰を決めたそうだし、もしかしたらスキージャンプマスターズリーグも夢じゃないな。

やっぱり僕の大好きな原田雅彦コーチ、エキジビションでもいいから飛んでほしいな。

ルール改正やジャンプ哲学の変化を組み入れつつも自身のポリシーを貫き通した上に跳んでそのまま落ちる飛行ライン。


僕も人と違う方法と笑われることがあっても自分の信念の飛行ラインを貫き通す理論と頑固さもたないとね。

とりあえず“おじさん世代”に勇気と希望と夢を与えてくれた岡部選手、ありがとう!!

2009年3月 6日

また一人世界を闘った日本人が舞台から去る・・・


日本人じゃないけど、日本を第二の故郷とたとえてくれたアイルトンセナ。

彼の現役の去り方は今思っても残念で、またその去り方があまりに衝撃的な事故による死であったことが、それまでのストイックなレースに対する姿勢に反映されすぎていて、そう、現役を去ると言う事実をたとえる言葉さえ見つけることが出来ない。

音速の貴公子と言われたアイルトンセナ。彼は世界中でも有名でメジャーな世界で世界一になった人間。

今回は世界一になった日本人がまた現役を去るという僕的には切なすぎる話。

一人はなんと言ってもスキージャンプの原田雅彦選手。
あえて選手と今でも使いたいひと。

年齢の限界に挑戦し、記憶にも記録としてもしっかりその世界で名前を刻み込みました。

そしてつい先日、ラジコンの世界で世界中から目標とされ、北千住の小さな模型メーカーを世界に知らしめる実績を残した広坂正美選手がレース会から引退するという記事を見かけた。

確かにここ数年、全カテゴリ制覇って言う実績は残せなかったけど、戦略的に数カテゴリに絞り込んで確実に結果を出してきた。

以前は親子で世界を転戦していたけど、メカニックを担当されていたお父様が事実上の引退、そしてメーカー内でもレーサーとして活躍していた人を専属メカニックとして結果を残してきたけど・・・

僕はどうしてこうもマイナーな世界が好きなのかなぁ・・・

でも、広坂選手はまだまだきっと行けるんだけど、勝つことが当たり前とされ、それがメーカー所属のプロドライバーとしてのプレッシャーだったんじゃないかな。

レースで勝てなくても、その世界ではきっと誰もが認める「車をコントロールする技術」はこれからも披露して欲しいな。

今でも時々テレビに出たりするけど、これからはラジコンというホビーをもっと身近に、そして競技性もちゃんと認められる価値観のある物へ成長させる事に貢献して欲しいな。

僕は未だにドリフト好きじゃないけど、それが人を惹き付ける事が出来るならそれでもいいや。

もっとメジャーに、そして世界選手権のポジションをもっと高い位置に!

2009年2月13日

なるか!?6大会連続出場。

先日札幌までスキージャンプを見に行ったわけだが、その時葛西選手はなんとインフルエンザで欠場。しかも2日目は大倉山の風がやまずにゲームがキャンセルになった。

その悔しさがあったのか、個人戦としては札幌に続く試合で3位入賞。

自身なんと2年ぶりの表彰台となった。

 

さて、個人的には原田雅彦選手(現:雪印ジャンプチームコーチ)が大好きだったこともあり、名門雪印チーム以外に興味はあまりなかった。

でも、いざ振り返ってみると過去のオリンピックには必ず葛西選手の顔があり、原田失速と言われたリレハンメルでも、全員でつかみ取った長野の金メダルの時にも常に仲間がとんでくるカンテを見上げている姿があったなぁ・・・

去年W杯を見に行ったときには2本目に進めず、客席の土屋ホーム応援チームの所に降りてきて、みんなの質問に快く応えてたもんなぁ。

来年はバンクーバーでオリンピック。

原田雅彦引退の後に雪印を背負い、いよいよ仕上がってきた岡部選手。そして、なぜかスポンサーにあまり恵まれずも実力で世界の舞台に立つ葛西選手。

それぞれ今度のオリンピックに出たら4大会連続と6大会連続出場。

冬季オリンピックは開催期間調整のために途中間2年で開催されたこともあったけど、それを考えても凄いことだと思う。

若手が出てこないことにジャンプファンとしては心配する所はあるけど、昔からの選手がいまだにトップにいてくれていると言う事は安心できるところでもあるしね。

来年はいっそ会場まで見に行ってみようかなぁ、オリンピック。 

2009年1月30日

FIS World Cup SKI Jumping 2008-2009

1月31日、2月1日と帰省します。

主たる目的はスキージャンプ観戦ですけど。

危うく仕事と重なる所だったけど、先方さんの都合で重ならなくなりました、僕は強運の持ち主です。

今後良好な関係を築けそうな会社の社長のおかげで一日前倒しになった、久しぶりの六本木での飲み。先ほど帰宅しました。

でも荷造り一切ゼロの状態で、しかも着替えを確保するためにフル稼働中の洗濯機。

あ、うちの洗濯機ってまたリコールかかってたなぁ・・・ 

ふぅ、準備のために長い夜になりそうだわ、とりあえずビールでも飲みながら洗濯が終わるのを待つことにするかな。

2008年2月 5日

四十九日でワールドカップは雪祭りなジンギスカン

昨年末祖母が亡くなりました。

お袋に聞けば聞くほど大変な入院生活を送り、結果はまぁ大往生とは言えないまでも無事に旅立つことが出来たようです。
人の死に対して荷物という表現は適切ではないのですが、お袋の苦労を考えればきっとお袋も大役を果たし、ようやく肩の荷を下ろすことが出来たのでしょう。

そんな僕は孫なのですが、初七日に姉貴から電話で知らされ、あれれ?って感じではあったのですが、さすがにどこかのけじめに挨拶は必要と思い、四十九日に当たる日に実家に行きました。

突如娘さんも連れて行くことになったのですが、娘さんは「お父さんと二人で旅行なんてはじめてだね!」と大はしゃぎ。ま、最愛の娘さんを連れて歩くのは全く苦にならないので珍道中を楽しむことにしました。

初日はとにかく祖母への挨拶と、お袋の苦労話の相手(笑)
娘さんもそれにつきあい夜中まで起きてましたよ。

20080202-1.jpg
で、実はこのタイミングって僕の大好きなスキージャンプのワールドカップ札幌大会の日。

夜中まで苦労話に付き合ったけど、翌日は朝から大倉山です。

20080202-2.jpg今やベテラン中のベテラン、葛西選手も予選からの出場です。
日の丸飛行隊を支え続けたベテランも、今では様々なレギュレーションの変更や時代の変化に乗ることに必死で、この日もK点の随分手前に着地しており、非常に残念な結果となっていました。

20080202-3.jpg2回目に進めなかった葛西選手はその後もファンサービスに会場をうろうろしていました。

愛娘さんなんて葛西選手のすごさ知らないから、雪の固まりを踏みつけて割って遊びながら、葛西選手の目の前で大騒ぎしてましたよ。

オリンピックに4回出てる凄い人だっつうの!

 

さて、僕は世界レベルの大ジャンプを楽しんでいたのですが、娘さんは途中から飽きてしまい、すっかり遊びまくりなので、139メートルという大ジャンプを後にして、まだ開催前の雪祭り会場へ。

20080203-1.jpg

札幌産まれであることを人に言うと、今までほとんどがいいねぇと言ってもらえました。

そして、口々に一度は雪祭り見てみたいねぇとも言われます。

僕的には子供の頃に必ずあった物だし、住んでいたところが会場から近いこともあってもの凄く身近なイベントだったんですが、愛娘さんにとっても“いいなぁ”な物だったようで、振り返るとスキージャンプから雪祭りの会場までほとんど「寒い」と文句を言うことがありませんでした。

20080203-2.jpg開催日直前と言うことで、大雪像のほとんどは完成しており、照明テストや音響のテストなんかをやっていたため、そばに寄ることは出来なかったんですが、ある程度は楽しむことが出来、むしろこちらが早く帰ろうとしているにもかかわらず娘さんは大喜びでした。

まぁ、北海道経済がかなり厳しいと言われる中、世界中から人が来ると言われるほどのイベントですからね。

僕にとってはなつかしいなぁ、と言う物でもはじめて見る人にはすごいなぁ、と言う物なのでしょう。
娘さん、すでにはなとほっぺたが真っ赤な状態でしたが、楽しんでいる様子です。

20080204-1.jpg翌日は朝から実家の近所の公園で雪だるまを作ると張り切っていたのですが、2月の札幌の雪、水でも混ぜないと雪だるまなんて作れないほどのパウダースノーな訳で、何度かトライするもあきらめ走り回るだけ(笑)

日差しがしっかりある中で雪遊びをすると汗だくになるほど暖かくなります。

東京ではちょっとしたことでも寒いと感じるのですが、なぜか雪景色の中では寒いと感じることがありません。

 

 

さて、月曜日お休みをいただいてしまったのですが、四十九日を目的にいろんなイベントを楽しむことが出来て、かあさん(僕が小さい頃から祖母を呼ぶなまえ)が旅立つ前にくれたちょっとしたタイミングのいいきっかけだったのかな?なんて思うことができました。

20080204-2.jpgそして、空港では時間に余裕があったのでジンギスカン。

はぁ、明日からはまた現実に戻るよ。

3日間、もの凄く充実した時間を過ごすことが出来てリフレッシュすることは出来たんだけど、明日から社会復帰できるかな・・・(笑)

ホントときどきでいいから、用意された娯楽で楽しむよりも、行き当たりばったりで楽しむこういう時間を作るようにしよう。

 

もうこんな時間だわ。
余韻に浸りながら寝ることにします。

2007年2月26日

日の丸飛行隊復活!?

ノルディック世界選手権をテレビで観戦、ジャンプ団体で日本は銅メダルだった。

本当に復活なのかなぁ・・・

あの、飛形ダントツ、飛距離ダントツ、って言う状態で向かうところ敵無し!っていうのが完全復活だと思うんだけど。

確かに昨日の試合、日本チームはまとまったジャンプをしていたけど、頭一つ抜きん出る何かが足りないんだよなぁ・・・

そこが結果として個人戦に表れてるわけだし。

またルール変えられてしまう程の常勝日本の完全復活に期待しています!

2007年2月21日

この季節の一番の楽しみ

ノルディック世界選手権 この季節になると一番気になることがある、そう、スキージャンプ。

ぶっちゃけ、大好きな原田雅彦選手が引退してから、何を追いかけて良いやら目的を見失っていたけど、振り返れば原田雅彦引退前からも大好きだった秋元選手あたり考えるとスキージャンプはやっぱり大好きなスポーツだ。

もちろんやったことはない。
せいぜい、ミニスキーという小さなプラスチックで出来た長靴につける数百円のスキーをつけて、公園に出来た雪山にこぶを作って数メートル飛んでみる程度。

でも、僕の子どもの頃はそんな遊びをするほどスキージャンプは男の子の間ではメジャーな競技だったんだよなぁ・・・

で、そんな大好きなスポーツ、スキージャンプを含んだ世界選手権が僕の故郷、札幌で開催される。

本当は見に行くつもりだったんだけど、なんだか色々と仕事やらプライベートやらがあって、現地まで見に行くことは出来なくなったので、テレビ観戦と言うことになっている。

とはいえ、原田雅彦引退後、雪印チームを引っ張り、強いては日本ジャンプ陣を率いるリーダーとなった岡部選手には是非がんばってもらいたい!
地元開催という優位性を最大限に利用し、さらに経験とここ一番の責任感の強さで良い成績を納めてもらいたい!

がんばれ日本ジャンプ陣!
ほんと、なんか日本ジャンプ陣の力になれることないかな・・・、一回分の遠征費とかそのレベルなら協力できるかもしれないな、僕の蓄えでも。

ほんと、ジャンプ日本、長野の頃のあの圧倒的な強さ、復活して欲しいな。

2007年1月10日

始まりましたね、この季節が!!

数年前に比べて圧倒的に日本人選手の活躍がないスキージャンプ。

あの長野の星、世界一の飛形といわれた船木選手が現在日本代表Cクラスなんです。
大好きな原田雅彦氏も引退してしまい、感動を伝え続けた当時の選手は葛西選手、岡部選手だけになってしまいました。

ルール変更、世代交代、マテリアルの進化、そしてルールの拡大解釈。

日本人選手が世界の第一線に返り咲くにはまだまだ乗り越えなくてはいけない障害がたくさんあるのだと思います。

ただ、当時からがんばっているマリシュ、アホネン、アマンといった日本を檜舞台から引きずり下ろしていた選手たちが今でも世界で活躍しているんだから日本だってまだまだいけるはず!

オリンピックで東洋の魔女とか、体操王国日本といわれたように、ジャンプもまた世界一になれるでしょう、絶対!

そんな中でも、2007年シーズン開幕で3位に入った葛西選手には期待!

原田雅彦氏に継ぐ苦労をしてきているんだと思います。いや、むしろ上に飛ぶことにこだわった原田選手よりも時代の流れに合わせて飛行スタイルを都度変えて苦労しているというところでは日本人選手らしくない苦労をしているのではないでしょうか。
あえていうならば、基本、北欧に優遇されがちなルール改変におそらく一番敏感に反応している日本人選手でしょう。

雪印岡部選手ももちろん苦労の人なのですが、飛形で大きな変化はありません。
細かいところでいったら膝の角度とか、サッツの方向とか細かいバージョンアップは繰り返しています。
でも葛西選手の平たいまっすぐな姿勢の時代から、あごを出し、懐の深いスタイルへの大幅な変化を見ると苦労が伺えます。

がんばれ葛西選手!

2月の世界選手権は応援に行くぞ!!

2006年3月15日

スキージャンプと僕と原田雅彦選手

バッケンレコードたぶん、世界で一番由緒正しいジャンプ台である大倉山スキージャンプ競技場。

僕はそのジャンプ台を眺める事ができるところで暮らしていました。

世界各国にあるジャンプ台にはそれぞれ最長不倒距離、 いわゆるバッケンレコードって言う物があり、僕の記憶では1978年、ノルウェーの「ナース」という選手が大倉山で118メートルを飛び、「まさかここまで飛ぶ事は無いだろう」というラインを大きく超えてしまい、審判員が巻き尺で飛距離をはかっていた事を覚えています。
その間、テレビに映し出されたナース選手は何とも言えない満足げな顔をしていた事を今でも深く覚えています。

 

子供の頃から僕は冬になるとスキージャンプをみていた。もちろん自分で飛ぶ事は無いんだけれど、子供の頃、公園に出来た雪山で長靴にくっつけるプラスチックで出来た「ミニスキー」と呼ばれるスキーで滑り、その雪山に水を混ぜた雪でジャンプ台を作り、それぞれに飛距離を競い合っていた、そんな子供たちの遊びに浸透する程、札幌の子供たちはスキージャンプは身近な存在でした。
やったところでせいぜい2メートル、その時代にその50倍以上の距離を飛んだナース選手、やっぱり印象的でした。

今はスキーのジャンプというと「V字」と呼ばれる、スキーの先端を大きく開いた飛型が一般的だけど、当時のジャンプは今で言うクラシカルと呼ばれる、きれいに2本のスキーを平行にそろえ、両手も開く事は無く「きをつけ!」と言われるようなぴったりと腿につけた飛型が一般的でした。
そのナース選手もやはりその飛型で118メートルを飛んだ。

日本人選手は札幌オリンピック以降、これといって世界で活躍する事も無かったのですが、そんな中、八木、秋元と言った、世界を舞台にする事ができる選手が頭角を現してきていました。

事実、八木選手は1982年にナースの118メートルを越え、 119メートルという大ジャンプをしました。
当時大倉山ジャンプ競技場は「90メートル」級とよばれ、今で言うところのK点は110メートルだったと記憶しています。

そして、僕が最初に好きになったジャンプ選手、秋元正博選手。
いろいろな出来事があり、秋元選手は世界を舞台にする事が少なかったのですが、最終的にはK点110メートルの大倉山で122.5メートルというバッケンレコードを作りました。
しかも横殴りの雪が降る中、テレビには赤いスーツをまとった秋元選手が微妙にしか確認できないような条件のもと作ったバッケンレコードでした。

大倉山ジャンプ競技場はその後改修を重ね、 今では知る人が少ない、アプローチに出る時に斜めに飛び出し、真下に方向を変えるというアプローチのスタイルから、ワールドカップルールに適合した、ベンチ式のスタートへと姿を変えて、K点120メートルという世界標準へ形を変えていきました。

その世界標準になった大倉山のバッケンレコードでやはり印象に強いのが、僕の大好きな原田雅彦選手の141メートルというバッケンレコードです。
上の写真の上の矢印がK点、そして原田選手がテレマークを決めたのが下の矢印。

スキー場で出くわしたら引いてしまう様な斜度が、「ここから」というところで緩やかになり始めるあたり、今で言うヒルサイズ間近の距離まで飛んだわけです。
※その3年後、145メートルという、次の改修までおそらくもう破られる事はない距離が現在のバッケンレコードなのだが・・・

僕の大好きな原田雅彦選手、5度のオリンピックに出場し、数々のドラマを生み出し、マスコミに叩かれる事も多く、そして与える感動はそれ以上に多く。

スキージャンプペアというコミカルなCG作品が世を席巻しているけれど、おそらく原田選手の活躍なしにはここまで素材としての知名度もなかったと断言できる程、スキージャンプという競技を世に知らしめた原田選手が今シーズンを持って引退する事になりました。

「もしかしたら」と長野オリンピック以降、レギュレーションの変化激しく低迷する日の丸飛行隊の活動をみて毎年感じていたのですが、それが今シーズン訪れる事になっってしまいました。

子供の頃からジャンプをみていると、「ニッカウイスキー」「地崎工業」「雪印乳業」、スポンサーの名前がそのまま所属となって選手名とともにアナウンスされ、強く印象付けられる所なのだが、今となってはその3大ジャンプチームを擁した中でも現存は雪印のみ。その主将を務め、日本中を感動させた原田選手が今季で引退するとニュースでききました。

がんばれ、岡部選手!雪印という会社自体、今はもう「のど元過ぎれば・・・」と思われるかもしれない様な不祥事をしでかしてしまった会社ではあります。

それまで有名だったアイスホッケーのチームを解散し、あわやスキージャンプまで・・・、と思われたが、唯一残ったのがジャンプチームでした。

そう、原田選手はもとより、あの感動の長野で団体を戦った4人の選手のうち、なんと3人が雪印所属という快挙を成し遂げていたのです。
※写真は数年前のワールドカップ、岡部選手のランディング。

原田選手は僕の年齢的に一つ上、世間では「いいおじさん」と言われる年齢なのですが、昔からジャンプをみていた僕にとっては、世間にこの年齢を「いわす」事ができる、いわば代理人だったわけです。

僕ら世代の星、原田選手もついに引退かぁ・・・

世間では選手から指導者へ移り変わる年代なんだなぁ、と今回強く感じざるを得ない状況でした。

僕自身はサラリーマンでしかなく、これと言った栄光は持ち合わせていないけど、「世代交代」って言う意味では現場主義、いわゆる選手から指導する立場への移行を考えなくては行けない年齢になったんだなぁ・・・、と強く感じてしまいました。

自分が造り出した栄光や昔話におごる事なく、いかに次の世代へそれを伝え、昇華し、さらにもっと良い物を残していくのか。

日本の原田、世界の原田と呼ばれた選手が引退を決意したというニュースを受け止め、自分自身これからの生き方、そして残し方。
それを改めて実感してしまいた。

今年、引退を決意した原田選手と同じ37歳を迎える自分にとって、スーパープレイヤーでありつつ良き相談役、そして良いお手本になるために努力しようと本気で考えています。

 改めて言うにはものすごく残念だけど、来年の世界選手権での勇姿をみる事が出来ない事は本当に残念だけど、原田雅彦選手、本当にお疲れ様でした、そして本当にありがとうございました。

スキージャンプという、元は拷問と言われる非現実的でそしてマイナーなスポーツを、新聞の一面を飾るポジションに持ってきてくれた功績、僕は心から認めます。

後はどのような活動をされるのかわかりませんが、先に引退された西方さん、斉藤さんと同様、同じような感動を与え記録ではなく記憶に残る選手を育てる事に注力してください。

そしていみじくも時を同じく引退を表明された宮平選手。
あなたの功績も今の日本、日の丸飛行隊にとってなくてはならない存在でした。

今後、世代交代を余儀なくされる中、岡部選手、葛西選手、そして間が開いてしまっているけれども伊藤選手、山田選手、原田雅彦という先輩に恵まれている次期日の丸を背負った日の丸飛行隊の選手たち。

札幌オリンピックでは金、銀、銅独占、そしてドラマを産んだ長野オリンピック。

今度いつ日本国内でオリンピックが開催されるかはわかりませんが、後任を育て続け、いつの日かまた日本全国を隔たる事なく涙を流す事ができる程に感動を与えてくれる結果を見せる事のできるチームに育ててください。

原田雅彦さん、本当にありがとう!
伊藤杯ではぜひ宮の森、大倉山ともにバッケンレコードを塗り替えて引退撤回!って言う程の大ジャンプを見せてください!

原田雅彦選手が引退!?

衝撃的なニュースが流れて来た、僕の大好きな原田選手が今季限りで引退する意向だとか。

ファンとしては残念で仕方がないけど御本人が一番残念なのだろう。

まずは「お疲れ様!」と、そして後任の育成宜しく!

2006年2月28日

トリノオリンピック、そしてそれぞれの想いをのせてバンクーバーへ。

トリノオリンピック閉幕。

日本人選手はフィギュアの荒川選手の金メダル一つのみという、ここ数回夏冬をあわせてさかのぼってもこんな不振な結果をみた事はない。

期待されていた選手の活躍、陽のなかなかあたる事のない競技での大活躍。
今回のオリンピックはどれも当てはまらなかった。

でも、結果だけでは判断してはいけないんだと、今回のオリンピックをみて感じた。

惜しくも100分の3秒でメダルを逃し4位に入ったアルペンの皆川選手、金メダルの陰に隠れてしまったがフィギュアの村主選手も4位だ。

4年に一度の大舞台に向け努力した結果だ。

以前格闘技PRIDEのキャッチフレーズで「60億分の1」というのがあったが、今回のオリンピックでは「60億分の4」が5人誕生したわけだ。

もちろんメダル獲得数が1というのは非常に寂しい結果ではあるけど、日本代表としてがんばってくれた選手たちには最高の賛辞を以て賞賛したいと思う。

2006年2月15日

結果はどうあれ、原田雅彦は必要な人材なんだ!

「考えてから行動するのではなく、考えるために行動する」
僕のつとめている会社の社長が朝会で社員に向けて言った言葉だ。

自分なりの解釈でしか判断出来ないが、「考えるために行動する」事の出来る人間は則を越えない判断と責任能力を持ち合わせた人間かもしくは馬鹿だ。

自分自身、自分なりの解釈で「使いにくい天才よりも使いやすい馬鹿であれ」と現場主義を貫いているつもりだ。

でも、いざ見つめ直した時、自分はどうだ?
馬鹿でありたいと願っている半面、どこかで自分を押し殺し、馬鹿を演じたいと思っているだけなのかもしれない。僕の卑下するところにあたる、使いにくい天才以下なのかもしれない。

僕の大好きなスキージャンプの原田雅彦選手。
リレハンメルオリンピックで大失敗し、「原田のせいで金メダルを逃した」とマスコミに叩かれ、辛い思いをしたに違いない。
そして長野で念願の金メダルを手に入れた、あの自分のせいで手に入れる事が出来なかった団体種目で、だ。

ゲンキンなものでマスコミは「あの失敗を活かし、母国で金メダル!」と賞賛したものだ。

それからしばらく原田選手は、一戦を退いた位置でがんばり続けていた。


今回のトリノでは賛否両論あったが結果的に代表に選ばれた。
マスコミは5度目のオリンピックとはやし立てた。
本当の事を言えば五度目の代表は原田だけでは無い、葛西選手だって五度目だ。

そんな中、トリノオリンピックNH予選。200グラムのため、原田選手は失格になってしまった。板が身長と体重に比べ「長過ぎる」ためだ。

そしてまたマスコミが叩きはじめた。
あのリレハンメルの失速の時と同じだ。

「自分の失敗を説明する時のあのヘラヘラした態度はなんだ!」

こぞってマスコミは長野の感動を棚の上の箱に鍵をかけてしまい込み、みな同じ様に叩き始めた。

きっと原田選手は誰よりも自分自身の失敗を強く受け止め、それを認識しながらも彼の性格なのだろう、ああいう形でしか表現できないタイプなのだと思う。

世間から見たらただの馬鹿だ。

なぜ人のせいにせず、自分自身を追いつめたのか。
きっと、自分のせいにする事で助かる人間の数が多かったのだろう、「日の丸飛行隊」と呼ばれた、現状の日本チームのつらさを知らない、にわかジャンプファンみんなを救うために、日本国民のために自分が犠牲になる事を無意識の中で自らすすんで選んでしまったのだろう。

日本中の期待を背負う事ができる、「使いやすい馬鹿」に徹したのだと思う。


でも、本当はそんな馬鹿こそが誰よりも自分自身を理解し、誰のためにでもなく、今自分に与えられた仕事は何か、自分のやるべき事は何か、それを理解しているに違いない。

トリノオリンピックは現在も開催期間中、ひょっとしたらもう原田選手の出番はないかもしれない。いや、きっとラージヒル、団体、ともに選ばれる事はないと思う。

「若手を差し置いて選ばれやがって!」

ちがう!マスコミはわかっていない。この時期にだけジャンプに注目し、面白おかしく書くお前らこそ「使えない馬鹿」だ。
本当に若手に実力があるならば、「原田の出る余地なし」と言わしめるほどの実力差を示せば良いだけの事だ。
僅差なんて言わず、圧倒してしまえば良いだけの事。それをする事ができない若手には任せられないというのが本当に代表に選ばれるべき人材なんだ。

現在37歳、誰もが原田雅彦というドラマチックな選手の年齢からくる衰えの不安を抱いている中、言ってみれば200グラム、たった200グラムの差さえ超える事ができない若手を叱咤するべきなのではないか?

4年後の冬季オリンピック、このままだときっと原田雅彦選手は現役を退いているだろう、でもいみじくもその時に同じ37歳になる葛西選手は現役を続け、6度目のオリンピックに出場しているかもしれない。
本当にその時、完璧な世代交代がいまの若手に行えているのだろうか。

ひょっとしたら40歳代ジャンパーとして、6度目のオリンピックに原田選手は出場しているかもしれない。いや、三浦雄一郎というスキーヤーの父が100歳を越えなおもスキーヤーだったように、現役を続けているに違いない。

同じ世代としてはぜひそれを実現していただきたい。


原田雅彦万歳!僕は味方だ。

2006年2月11日

トリノオリンピック開幕!

はっきり言ってスキージャンプにしか興味はない。
ミキティ?興味ない。上原愛子?まぁ、がんばってください、日本人なら誰しもメダル確実、そう思っているから・・・。

興味があるのはジャンプ、しかも原田雅彦選手のみだ。
もちろん、この日本人選手不利という中、真上に踏み切ることにフォームを改造し(真上に踏み切るのは原田選手がずっとやっていたこと、これで原田選手が正しかったという証明なんです!)ワールドカップ表彰台にあがっている岡部選手、不調な日本人選手の中長野オリンピック以降のこの数年「日の丸飛行隊」を背負い続けてくれていた葛西選手、誰をとりあげても期待はしている。

でもやっぱり原田選手だ。

公式練習で102メートルを飛ぶなど、順調に仕上がっている。
一時はオリンピックに参加しながらもシャンツェに登ることがないのでは?と言われたが、やっぱり日本の原田、いや世界の原田、見せるところは見せてくれた。

レギュレーションの変更が繰り返され、滑空というより落下に近い状態を強いられてきている世界中のジャンプ選手。
しかも少しでも風に乗ることができるようにと筋力のみを残しぎりぎりのダイエットをした結果、選手としての健康を加味した・・・、とまたレギュレーションがかわるという、どんどん追いつめられている世界中のジャンプ選手たち。

考えてもみたらスキー板をはいて急坂路を滑り降り、時速90キロ位近い速度で空中に身を投げ出すという、非日常を通り越し、何かの罰則では?と思われるような競技だ。

でも僕はその魅力に取り憑かれ、その中でも何かしでかしてしまう原田雅彦選手にぜひがんばってもらいたい。

「元気に飛びます!」

原田選手は自分の技術の衰えと時代遅れをおそらく感じつつも、インタビューに対し、そう、いつもの原田スマイルで応えていた。

日本時間2月11日26:00。
僕を含め多くのジャンプファン、いや原田雅彦ファンは大ジャンプを心待ちにしている。

2006年1月11日

原田雅彦選手、トリノで鳥になる!

嬉しいニュースが飛び込んできた。
僕の大好きなスキージャンプの原田雅彦選手が5回目のオリンピックに出ることになった、バンザイ!

2003 FIS World Cup長野オリンピックでたぶん日本での人気がピークに達したスキージャンプ。
その後「日の丸飛行隊」を駆逐するがごとくルールの改正が続き、今や一時の勢いは全くない。
それにあわせて人気も落下していった。

あの60点満点を当たり前に出す綺麗な飛形の船木選手が今回のトリノ代表からは外れてしまった。

誰を取り上げても見事に板に風を受け、落下というよりも滑空に近いジャンプを見せていた日本人選手だった。
しかし今では板も短くなってしまい体系的に大柄な選手が有利で、且つ、背中を丸め胸から腹で風を捕まえながら落下していくという、とても絶頂期の船木選手のような優雅さがジャンプからは無くなってしまった。
風を受けるためぎりぎりまでダイエットし、こけた頬の選手ばかりが目立つようになってしまっている。

全盛期、フライング競技で200メートルオーバーしたときの船木選手のジャンプは音で例えると「ヒラヒラ」と飛んでいるようだった。あの時代が本来アスリートへ与えられる環境だったのだと思うのだが・・・

そんな時代が変わっていく中、前へ飛ぶのが当たり前になっているにもかかわらず上に飛ぶ原田選手のジャンプはいまだ健在、コンチネンタル杯では2位のポジションを獲得し、晴れて五輪代表になった。

原田雅彦選手の大ファンとしては、まったくもって嬉しい限りだ。

ただ、今回のトリノオリンピック選手選考については世間がどう言うかが正直言って怖い。

出たらメダル確実といわれながら年齢基準のため選考されなかったフィギュアの浅田選手、六本木での事件ばかりが取りざたされたモーグル里谷選手の代表入り、そして、長くワールドカップから外れBクラスだった原田選手の選考。

これで結果が出せなかったらマスコミからたたかれるのだろうか・・・

そんな「向かい風」は通常は障害になるけど、ジャンプでは向かい風は「神風」と比喩される。

がんばれ、原田雅彦選手!
そして、41歳になる次のオリンピックも是非現役で飛んでくれ!

2003年1月27日

テストジャンパー、原田雅彦

2003年1月25日・26日、札幌大倉山スキージャンプ場でW杯札幌大会が開催されました。

小学生の頃父親に連れられ、何度か観戦したことはあったが、本格的に「生」でジャンプを見るのは初めてかもしれない。

現在はナショナルチームのコーチを務める八木さん、そしてその最大のライバルだった秋元さん、そのあたりの活躍時期から毎シーズン楽しみにジャンプを見ているが、やはり僕の中では「原田雅彦選手」が最高のジャンパーだと思っている。
長野五輪ではメイク・ドラマ(?)を演じ、一躍ヒーローになったが、34歳の現在も現役でトップジャンパーでいる彼の姿には最高に魅力を感じる。(報道陣の前での話術にも魅力を感じているが(^^; )

考えてみれば、アルベールビル五輪代表選考会のあたり、いわゆる「V字」飛形が世界を圧巻し始めた頃には彼は既に台頭を表しているのだから、10年以上トップジャンパーであるわけだ。


今回のワールドカップでも彼は跳んでいた。しかし、それは選手としてではなく、「テストジャンパー」としてだった。


新聞だったかテレビだったかで知ったのだが・・・
長野五輪、原田選手のチームメイトで同じ歳の西方仁也選手も白馬ジャンプ台を跳んでいたが、やはりテストジャンパーとして跳んでいた。

原田選手の団体戦一本目、なぜかその時だけテレビカメラに何も移らないほど雪が舞っているのにもかかわらずシグナルはグリーンになった。
風速コンマ5メートル程度の差でもシグナルが赤になる中、なぜか「飛ばされて」しまった。

そこまでトップだった日本チームは4位へと落ちた。

「もうこれ以上迷惑をかけられない」と激しく落ち込んでいる原田選手に西方選手は「かわりに飛んでやりたい」と声をかけ、ヘルメットとグローブを差し出したという。

そしてその「テストジャンパー」のヘルメットとグローブを装備した原田選手は二本目、最長不倒をマークし、金メダルを獲得した。


そう、「テストジャンパー」という地位は言うなれば縁の下の力持ち。
現在は成績不調のためナショナルチームから外されているとは言え、今までの日本ジャンプ陣を支ていることに代わりは無い。

トリノ五輪、世界選手権、まだまだ大舞台は用意されている。

頑張れ原田雅彦!!



影のドラマを作っていた西方、原田両選手だが、現在も宮の森100m、大倉山141mとバッケンレコードホルダーで今も直その記録が破られていないことだけは付け加えておきたい。

2003年1月23日

FIS World Cup SKI Jumping

25日、26日はまた札幌に行く。
スキージャンプのワールドカップだ。

僕は「原田雅彦選手」が大好きで、その勇姿を見に行こうと思ったのだ。

しかし!!

今シーズン不調のため、なんとせっかく観戦に行くワールドカップでは「テストジャンパー」らしい・・・
ん~、来年も見に行くか!!

※頑張れ宮平秀治選手!でもバッケンレコードは塗り替えないでね(苦笑)

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