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2010年8月28日

ロケット発射!! 視界良好!!

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20100828_02.jpg昨日(今朝だなwww)日記に書いた通り、青森へ行ってきた。
そのブログでは"知人"と濁したけど、仕事で知り合った会社の社長さんとそのスタッフに会いに行ってきた。

この社長との出会いは振り返ると結構長く、この1〜2年は腹を割った深い付き合いをさせていただいていた。

価値観は十人十色で双方違う所にあるんだけど、目指すゴールが同じ方向を向いているという事から、方法論の出し合いというか、アイディアの出し合いというか、すごく楽しい。
多分外から見たら二人が話している様子ってきっと、子供がイキイキと今日起きた出来事を母親に「聞いて!聞いて!」って台所で話している姿に見えるんじゃないかな(笑)

そして、ここ1年くらいはその社長が運営する会社のスタッフの方と交流する事も多いんだけど、僕が感じている通りに、そして僕がこうあるべきという「上司と部下」の関係が出来ている事を見せていただく事が出来る。
僕が前職で「こうありたいなぁ・・・」っていう関係を作る事が出来たのは数名・・、いや一人かなぁ・・・。
たかだか1桁しか居ないスタッフとその関係性が作れなかったのは僕の技量の無さだな。

青森の会社の社長と会ったり、その会社のスタッフと会うと、そういう面で僕の器の無さを痛感させられます。

一番上の写真は帰路の飛行機から見えた雲。

積雲がいわゆる入道雲に成長していて、かなとこ雲って言うのかな?上が平になるほどに成長したくも。
上が平になってるって、これ以上、上空に成長したら雲が雲で居られない所に向かって成長しているために雲が上空で平らになっているやつらしいんだけどね。

果てしなく存在する上空を目指して果てしなく求めるんじゃなくて、身の丈に合った「雲で居られる所」を見極めてそこで広がって行く・・・

果てしない所を目指せと言われて自分が自分で居られなくなる程に成長しようとするならば、しっかりとその場所に自分を存在させて多方面に広がっていきたいなぁ・・・、って。

帰路の飛行機から見えた景色。
雲はそこにしっかりと存在していますが、視界良好でした。

青森なう。

夏休み最後のイベントとして、青森に来た。

もちろん全く用事がない訳ではなく、知人を訪ねてきた訳で。

知人と世間話やら、知人以外の会社のスタッフと社内で雑談後、いつもの感じで食事と飲みへ(笑)

耳の調子もあるんであまり派手に飲まなかったんだけど、それにしても量は結構いったんじゃないかな・・・

相変わらずなんだけど、楽しくて信頼出来る人と、その人を信頼する人たちとの時間はあっという間に過ぎる。

おいしく酒を飲みましたとさ。

さて、寝よう。
チェックアウトまでに起きなきゃ行けないしね(苦笑)

2010年8月 6日

おいしいもつ鍋をつつきつつ泥酔する

20100805.jpg夕方、南海線なんば駅にある、昔ロケット広場と呼ばれた場所で待ち合わせ。

僕が前職在籍中も非常にかわいがってくれて、その頃から「一緒に飲みに行こう!」とお声がけいただいていたお客さんは、相変わらずスリムでかっこ良く、満面のスマイルで僕を待っていてくれた。

なんば駅の近くで・・・、と思っていたらタクシーで「大正」という街まで連れて行っていただき、店構えは普通の肉屋なのに奥がもつ鍋屋という風変わりな店。
でも、気取らないそういったお店は僕も大好きなのでとても落ち着く。

気持ちが合う人とは、しばらく会っていなくてもその時間なんて一瞬で取り返す事ができて、さらにこれから先の新しい話までできるからよけい楽しい。

お腹いっぱいになり、もう一件行こうという事になり、またタクシーでなんばまで戻った。

狭い店だけど、「ママ」と呼ばれるおじさんが居る居心地のいい店(笑)

久しぶりに吐くほど飲みましたよ(笑)、ほぼ泥酔。

一夜明けて「だいじょうぶでしたか?」なんて早速電話いただいて、ごちそうになった事やご心配をおかけしてしまった事でまた10分くらい話込んでしまいましたとさ。

はぁ、やっぱり気が合う人は好きだし、新しい何かをやろうって気にさせてくれるわ。

2010年5月18日

富士山

ちょっと思い立って、大好きな友達を連れて富士山を見に行った。

府中から中央道で一時間半程度で着くのよね、富士山。

でも、山中湖について富士山の方をみても曇ってて全然見えなかったのよね、ざんねーん。

 

あまりに残念だったから友達つれておいしいもの食べたんだけど、飲み過ぎたねー、かなり飲み過ぎたねー。

でも、大好きな友達と一緒だったからものすごく楽しかった。

気が合う人といると酒が進むわ、怖い怖い! 

2010年2月11日

現実は小説より奇なり

現実は小説より奇なりとはよく言ったもので、事実、今僕はある物語の中にいるような毎日を過ごして居る。

ただこの物語の結末はまだページが書き記されていないので、ページをめくり送っても読む事ができない。

ひょっとしたらこの物語の結末をつくる事が出来るのかな?とも感じていて、頭の中でいろんな事を考えている。

まだここから先の展開はアイディアさえ無いけど、ただ一つ言える事は、絶対ハッピーエンドにする必要があるという事だけだ。

そう、もうちょっとだ、頑張ろう。

2009年8月10日

ワケガワカラナクナッテキタ

なんかね、もう訳がわかりません。

2009年6月14日

街は変われど人は変わらず。

土曜日、卒業してから20年経った専門学校時代の同窓会があった。

とはいえ、仲良し数人組なんでぼちぼち会ってはいる連中。

でも、「同窓会」と銘打って集まったのははじめてかなぁ・・・

会場は学生時代に過ごした蒲田にある餃子屋。

 

土曜日といえど、それぞれ仕事があったりしてね。ぽつりぽつりとだけど、集合時間に30分と遅れることなく全員が揃った。

餃子を肴に他愛もない話で数時間過ごした後、青春時代を過ごした校舎のほうへみんなで移動してみた。そこには懐かしい校舎や、決して無駄では無く、みんなで揃って時間を垂れ流していた店などが数軒残っていた。 でも、町並みと言うところでは微妙に変化があって、卒業してからの20年という時間をあらためて噛みしめたりもしていたわけ。

土曜日の21時頃とはいえ何人か生徒さんたちも校舎の周りに残っていて、心の中で「がんばれよ!」とか「俺たちは先輩だぞ!」なんてつぶやきながら、徐々にほどけて明確になっていく記憶に脳が刺激されっぱなしな時間を過ごした。

 20年経ってもほんの昨日「お疲れ!」と別れた友人に今日会うような、でも町並みの変化は確実に20年という時間を経過した事を実感するような。。。

なんか、不思議な時差ボケを味わうことが出来ました。

 

道産子の自分がなぜ東京で暮らしているんだっけ?そうか、東京に出てきて一番最初に知り合った仲間なんだ、こいつら・・・。

原点回帰、経年劣化、試行錯誤、五里霧中・・・

そか、40年分生きていたうち、なんだかんだで20年はこいつらと一緒だったんだよね、自分。

リセットする勇気をもらえたような気がするわ。

 

 

あ、なんだか、盛り上がりすぎて今後毎月やりそうな勢いだったな・・・、さすがの俺も毎月のリセットは厳しいわ(笑) 

 

2009年4月16日

最後のパレード

ディズニーランドで本当にあった心温まるお話。

というサブタイトル。

毎朝聞いているラジオ番組で、ひょんな事から知った本。

何となく、その時の紹介の内容で買ってみようと思い立ち、ほんの名前を忘れないように会社について真っ先に購入。

さくっと届いた本は、サブタイトル同様に「ディズニーランドで本当にあった心温まるお話」がたくさん載っています。一つの出来事は非常に短い物なので、テンポ良く読み進むことが出来るはずなのですが、この本に限っては進んでいきません。

ちょっとお涙ちょうだいという方向に降って作ってある本なんですが、その出来事の一つ一つがすべて心のくすぐったいところをちょいちょいいじります。そのため、テンポ良く読み進むことは出来ません。

年をとると涙もろくなるという世間の風潮そのままに、この本は今年40になる僕のつぼを突いてきます。

 

はぁ、これもディズニーマジックの一つかもしれないけど、ディズニーランドを舞台にこういう事もあるのね。

機会があったら是非皆さんに読んでいただきたい本です。 

2008年9月30日

人に恵まれた人生を得ることが出来たことが僕の一番の財産

松下幸之助が新人を面接するときに、「あなたは運がいい方でしたか?」と訪ねていたらしい。

そんなテレビを見ていたときに、良くあるパターンでCMに入った。

CM中、自分ならどう答えるかな?とほとんどの人は考えるでしょう、自分も同じ。

僕はきっと即答で「はい!」と答えるだろうな、とか思いながら、でもそう答える奴がほとんどだろうから、そうやって僕は面接に落とされるんだろうなぁ・・・、とか考えていた。

CMあけ、そのコーナーで最初に出てきた再現VTRでは「僕はあまり運が良い方ではありませんでした。」と答えた青年に向かって、今まで真剣に聞いていた顔が急にゆるみ「そうでしたか。」と満面の笑みで松下幸之助(役のひと)は答えていた。

で、次の青年は「はい!僕はもう運だけで今ここにいるような感じです!」と答え、そうしたら真剣な顔が急に厳しくなり、「ほう、じゃ、ここにいるのは君の実力では無いと?」と問いかけ始めた。

青年は「はい、僕は本当に人に頼ってばかりで助けられて・・・」と自分を語り始めた。

さぁ、どちらが採用されたでしょう?

 

僕の書き方が下手だからもうわかると思うけど、運が良いと答えた方が採用されたという話だった。

まぁ、あぁよかった、とか思っていたんだけど、松下幸之助の判断は単純明快だった。

人に頼ることが出来て、人に助けられることを知っている、そんな人間は、人に頼られる事が出来て、人を助けられる人間になることが出来る、と言うことらしい。

 なるほど、簡単な事だけど深い。

人を傷つける事しかできない人間は恐らく人に傷つけられて育ったんだろう、そして人に優しく接することが出来る人間は、人に優しく接してもらえてきたんだろう。

 

白と黒を分けるとき「正しい、間違っている」と言った客観的判断と「好き、嫌い」という主観的判断。もちろん、達観した不惑の価値観を持った人間なら好き嫌いの判断が誰しもが認める正しい間違っているという判断を産むんだろうけど、実際なかなか「正しい、間違っている」という判断はつけにくい。 

僕は本当に運が良くて人に恵まれまくって今まで育ってきたため、今ひとつ人に厳しくなることが出来ない。結果、自分にも厳しくすることが出来ないという感じ。

親父に「もの凄く世話になった人が亡くなったとき、例え金が無くて立派な香典を出すことが出来なくても、下足番でも何でも感謝の気持ちで返せ。」と言われ続けた。

恐らく親父は厳しく育てられた反面教師で人に情を持って接することを体得した人間なのだろう。

お袋には本当にかわいがってもらったし、40目前になっても「ちゃんと食べてるか?」「風邪はひいてないか?最近寒いから布団を一枚多く出して寝ろ!」みたいな心配をかけてしまう甘えん坊な訳だ。

とはいえ、「好奇心が服を着て歩いている」とまで親戚に言わしめた僕の今の性格の基礎は、おおかたお袋に植え付けられた物だ。いまだに興味を持ったことはとことん調べてやってみる。 

7つ違う姉貴にも本当かわいがってもらったし、もう、僕を構成する一番身近な人たちに一番運をもらってここまで育った感じだ。

 

いや、何を言いたいか酒が入ると訳がわからなくなるんだけど、結局、僕は本当に人に恵まれていると思いまして。

そして、昨日見に行った最愛の娘さんの運動会での姿、たくましく成長している様子を見て、少なからず、僕が受けてきたたくさんの人たちからの愛情のちょっとこぼれた分を、ちゃんと娘さんは拾ってくれているな、と感じまして。 

僕自信がたくさんの人からもらった愛情と運を僕なりに咀嚼して与えてあげたら、いざ娘さんが親になったときに、さらにたくさんの人からもらった愛情と運を自分なりにこれまた咀嚼して子供に伝えてくれるんだろうなぁ、と思いまして。

会社でもそう、趣味の仲間でもそう、もちろん両親姉といった家族からもそう。

僕は本当に恵まれた環境で育ったな、と何となく思いましてね、こんな事を書いてしまいました。 

 

2007年9月20日

誕生日会

今日は会社で誕生日会。

ん〜、今までは会社とは別の場所でやっていたから、それなりに「切り離されて」楽しむことが出来たんだけど、今日は会社の施設、カフェテリアで実施された。

結構在籍も長い方になってしまったので、今までの誕生日会は楽しみだったんだけど、人数も増え、場所の確保も難しい・・・、といった背景を見ないとしたら、決して楽しいとは言えなかったなぁ・・・

結局エレベーターで4つ上がると普段の執務スペースだし、そもそも「あ、そろそろ行かないと!」って荷物もPCの電源もそのままに移動する場所だと、気持ちの「楽しむスイッチ」は入らないよね。

ん〜、本当に社員を楽しませたいなら、年末の大きな忘年会以外、年に12回しか無いんだから場所変えないとまずいよ!

人数が少ないときは年に4回、クォーターごとにイベント。毎月誕生日会。そして年末の大忘年会。

これ、宗教的に比喩されるうちの会社だけど「この会社に属していてよかった!」と思えるイベントだったんだよね。
経営陣(とはいえ、僕より年下が多い)との交流や、他事業部との交わりとか、本当に「シナジー」と呼べる物のきっかけが出来ていたんだけど、今では「恒例常時だから」って言うレベルに成り下がっているような気がする。

ん〜、ん〜、ん〜。

おれ、そっち側の人間にしてもらえないかなぁ。。。

この規模になると「全社一丸となって!」とか言っても末端にとどかないだけの距離が産まれていること、そして、その距離を埋める方法を「恒例行事だから」っていう事では処理できなくなっている状態であること、本当に理解しているのかなぁ・・・

何回目だ?5回目?6回目?

もっと楽しい、そして「あ、昨日はどうも!」って言える様なイベントに出来ないもんかねぇ。

経営陣が期待している事は上下関係の確立による指示系統の仕組み化よりも、いわゆる「ほうれんそう」がよりスピードアップする、その中でも「そう」の部分がもっと気軽に出来る仕組み作りなんじゃないのかなぁ・・・

急激に大きくなる、なんて言うの、第二次成長期に背が伸びすぎて腰を痛めるみたいな、ん〜、うち、いまそう言う時期なのかなぁ・・・。


とか思いましたわ。

2007年9月 4日

EdyとSuica

PASMOって品薄で発行制限してたから爆発的に増えたと思ってたんだけど、まだまだSuicaの発行枚数の方が桁違いに多いんだってね。

まぁ、もはやその二つに差はないけど。
実はまだその二つとも手元にあるんだけど、PASMOはデポジット返してもらおう。

一方Edyも気がついたら実装されてるカードをたくさん持ってた。
ANAマイレージクラブ、各種会員証、そして携帯電話。

最近僕の勤める会社のカフェテリアがオープンしたんだけど、基本的にはランチ無料。
これは素晴らしいのだが、特別メニューは金がかかる。
で、支払いがEdy。


個人的にはアンチプリペイド派。
これで支払うとお得!と言われても現金の汎用さが失われる事がすでに魅力無し。


と、思ってた。

今、身近で利用する店ってほとんどEdyかSuica使えんのね。
携帯なんて登録したらチャージも手元で出来る。
便利だわ、まじで。

2007年5月 6日

ドM。

どうやら僕は「ドM」らしい。

 ごくごく短期間にまったく関連の無い方々から全く同じフレーズでつっこまれました。
でも自己意識ゼロです、はい。

玉撞きで的が他の玉で隠れてしまって見えない状態、良くあります。
こんな時、俄然燃えます。しかもかなりミラクルなスーパーショットを決めます。しかも完全に狙いで。

とか言いながらまたもやさくっとやられました、今日の試合、一回戦不戦勝パターンで。 

どちらかが僕の相手になる、っていうテーブル見てたんですが、4先で1時間半かかってまして、萎えちゃいましたね。
これに喜べていないんだからけっしてドMではないと思うんだけどな、自分では・・・

2007年4月29日

チームワークって・・・

なんか、チームワークが大事な環境でそれを大事にしようと考えていたけど、実はチームワークを壊していたのが自分だったのではないかと。

「誰かのために何かをしてあげたい、困っている人がいたら助けてあげたい。」

人間は楽な方へ転がりやすく雑用的な事が一カ所に集まり始め、結果、責任さえもそこへ集まり始める。
不思議なことにそう考えている人のところに。

いや、そう感じているだけかもなぁ・・・、いやきっとそう感じているだけなんだろう、俺が。
黙って任務を遂行する事、それがミッションなんだ。

数年前なら辞めてしまっていただろうな。でも、年齢的な事もあって「あぁ、もうやだ!」って逃げ出すことも出来ないし、そういった葛藤がまたモチベーション下げていくわ。

でも週明けには

客先に頭下げに行くよ、それが俺の役割だから。

我慢だ、我慢。
とにかく今は耐えろ。

2007年2月 2日

現場、現場、現場!!

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日韓共催となったFIFAワールドカップの決勝戦開催地、日産スタジアム。
仕事で出かけました。

率直に言うと「いやぁ、現場だわ、現場。」って感じ。
何かにつけ僕は「現場」という表現を使いますが、僕の職種での現場はこういった会場を指します。ここがお客さんでいっぱいになるなんて、そしてそれに関わることが出来ているなんて!

滅多に現場に出かけることが無かったんですが、やっぱり会場に来ると肌で感じます。

データマイニング、データ分析、マーケティング・・・

そういった、いわば机上の空論になりかねない数値って、事実を表してはいるんですけど説得力に欠けることがあるんだよなぁ・・・、と日々感じていました。

でも、今日曇り空がぱぁっと晴れるように理解することが出来たんです。

結果的に「ここ、お客さんでいっぱいにしたいなぁ・・・」って。

その為に何をしたらいいのか、多分とても簡単な事なんだと思います。実現は難しいけど。

数字を追いかけているうちに、数字を追うことが目的になって、目的を見つけるためにがんばっている・・・

これ、やっぱり情熱にかけちゃうんですよね、第一疲れちゃうし。
数字を追いかけて「そうか、そう言うことだったんだ!」ってそこで終わりかねないんですよ。

やっぱり現場。

現場見たら、本当にやらなくてはいけないこと見つけた気がします。

売る側、買う側、お互いにハッピーになる事ってそんなに難しい事じゃ無いのかもしれないな・・・、って。 

いやぁ、良かった。
自分自身がんばっていたつもりだったけど目が覚めたわ、今日。

2006年12月20日

道産子な一面をちらりと見せたりして・・・

mixiで北海道に関するバトンを見かけたと思ったら指名されていた(笑)
僕の道産子な一面をとくとごらんあれ!


●カツゲンが大好きだ。
はい。
北海道と言えば「焼きそば弁当」と「激メン」も大好きです。
Metsのガラナも必ず飲みます。

●ザンギも大好物だ。
つまみ食いナンバーワンですね、今ではどこだったかの居酒屋で見かけました。
●とうもろこしのことを「とうきび」と言う。
両方使います。もはやどっちが方言だったかの判断が付きません。
●スタッドレスタイヤのCMのすぐ止まるは嘘だと知っている。
実は僕、スタッドレスでまともに雪道走った記憶があまりありません。
お袋が交差点抜けるときカウンターあててたのを思い出しました。
●イシヤチョコレートファクトリーに行ったことがある。
無いですね、恐らく僕が東京に出てからなのでは?
●桜が咲くのは5月があたりまえだと思っている。
少なくとも入学式と桜っていう映像は浮かびませんでした。
今ではやっぱり4月のイメージかな・・・
●バーベキューといえばくしに刺して焼くものだと思い込んでいる。
だいたいバーベキューなんてやらなかったな。
石狩浜なんかでやるのは必ずジンギスカンでした。
あと「ちゃんちゃん焼き」って全然やったこと無かったのですが・・・

●冬の学校でスキーの時間、グランドをスキーを履いて何週もぐるぐる歩いた経験がある。
ぐるぐる回ったことはないけど、グラウンドに小高い丘が作られていてそこで授業しました。
中学入った頃は旭山公園だったなぁ・・・
●スープカレーはちょっと自慢。
僕が札幌で暮らしていたときはスープカレーがありませんでした。
だから「札幌ってスープカレーだよね?」って言われてもピンときません。
●交換して欲しい時の言葉は「ばくって〜」だ。
「ばくりっこ」とも言いましたね、僕。
いまは「とっかえて〜」ですね、普通。
●札幌の地下鉄のホームの「他の人の迷惑になるので、飛び込むのは止めましょう」と書かれたプレートは、ちょっとどうかと思う。
いまいちぴんと来ませんでしたが、西18丁目は飛び込みシーズン見たいのがありました。
以降、ホームに大きな鏡が設置されたり、路面に平らな鉄板が設置されたりと整備されていきましたね。
っていうか、僕が札幌いた頃東豊線無いし、東西線も琴似までだった。白石が終点だったことも良く覚えているし、だいたい南平岸駅って何だ?霊園前じゃないのか?
●プールには温室のようにビニールの屋根があって当たりまえと思っている。
あ、そうかも。
冬場は外しちゃってたなぁ・・・
●内陸部出身の道産子に蟹や鮭をねだらないで欲しい。
いやべつに・・・
ロシアからのかにが入りにくくなって値段が上がったって聞いたな。
これからどんどんかにがおいしい季節だな・・・
楽天のランキングカニだらけになるし(苦笑)
●5月にスキー場がやっているのは内地の人たちが来るからであって、もはや粉雪ではないスキー場で北海道民はスキーはしない。
リゾート系スキー場は観光地だよね。男は黙って藻岩山のウサギ平直滑降さ!
●絆創膏のことをサビオもしくはサビヨと呼ぶ。
サビオ、言った言った。
今はバンドエイドかな、サビオって商品名??
爪の境目のところの皮がむけるの「逆むけ」だったよね、東京では「ささくれ」だってさ。僕の調査の結果によると本州以外は「逆むけ」みたいだよ。
●「ひっかく」ことを『かっちゃく』という。
言ってた。
くすぐったいことを「もちょこい」とかも言ってたな。
●本州の人がロードヒーティングを知らないことは衝撃だった。
僕が子供の頃は金持ちの象徴でしたね。でも車が通ると伝染切れたりするのよね、アレ。
あとミニスキーの敵だった。「スー、スー、カッ、カッ、カッ、カッ!」ってなるから(笑)
●まつげによく雪虫がのっかってる。
のってないっす。
●ギョウジャニンニクを「アイヌねぎ」という。
知らなかったわ。行者ニンニクは行者ニンニクだと思ってた。
●コンサドーレが「道産子」を逆から読んで名付けた事を知ったときはぼう然とした。
呆然とせず笑いました。
●回転寿司といえば「とっぴー」だ。
うわ、それ知らないわ。
●同級生をドンパ、タクシーをとんしゃと呼ぶ。
タクシーはとんしゃだったな。
ドンパはちょっと微妙・・・、使ってたような、無いような・・・
ひょっとしたら普通に「ため」だったかも。
●札幌駅前で、『どさんこワイド』にうつったことがある。
実家に帰るたびに「写りに行くからクイズ答えて!」とお袋と話になりますがいまだ映ったことありません。
●狸小路の愛称「ぽんぽこシャンゼリゼ」は、かなり恥ずかしい。
知らなかった。でも「た〜ぬ〜き〜こぉ〜〜じ〜わ〜」って歌を思い出しました。
同時に「山親父」の「出てきた、出てきた、山親父〜」も思い出されました。

●内地に行ったとき、窓が二重サッシじゃないのに驚いた。
逆に久しぶりに札幌帰ると家に必ず煙突があることにびっくりする。最近はマンションが当たり前だから札幌の人もあまり実感無いかな・・・
●さわることを「ちょす」と言う。
あぁ、何となく覚えているな。
授業中に怒られたりしたときに「○○くんがちょしたから!」って先生に言ってた気がする。
●「こわい」、「したっけ」には二つの意味がある。
「したっけ」って結構東京で聞くなぁ。「したらさ〜」とか「あったっけ?」とか標準語として使われるんだからもはや「したっけ」は標準語でよいと思います。
●ラーメンサラダは全国どこにでもあると信じて疑ったことはない。
ラーメンサラダにぴんと来ません。
●四季ではなく「春、夏、秋、初冬、寒中、残冬」の六季だ。
「春、暖かい春、秋、冬」の四季です。
●しかし、実は寒さに弱い。
最近寒さが間接に来るようになったけど、やっぱり夏の暑さの方が嫌い。
●丸井今井をついサン付けで呼んでしまう。
丸井は丸井だったな。
そういえば子供の頃三越の屋上にジェットコースターみたいな物があったような気がする。
コント赤信号のねたで「赤いカードが・・・」なんて言っていた丸井と札幌の丸井今井は同じ物だと信じてやまなかった。
●冬の室内温度は28度が基本だ。
うち結構寒い設定だったな。
っていうか、温度で設定する器具が無かったわ。
●「いずい」と「はんかくさい」は標準語に訳すことが困難だ。
もうめんどくさいから「いずい」は「いずい」と言うことにしています。
「はんかくさい」はもともとあまり使いませんでした。
「あずましくない」っていうのは全く使ってなかったけど知ってる。
●おいしいものを食べたときは「なまらうまい」だ。
「なまら」はほとんど使わなかったんだけど、「超ムカツク」は「なまらあっつい」だった(笑)
ちなみに「なまら」の活用形で「なぁ〜んまら!」ってのもあるらしい・・・
●茶碗蒸しに栗が入っていないと不機嫌になる。
っていうか、北海道の茶碗蒸しは甘いです。
具は何でも良いですがユリ根は外せません。
●雪と氷の上では無敵だと信じている。
そう思っていましたが、数年前がっつり転んで痛い目にあったので注意して歩いています。
●年配の人が、家に訪れる時は決まって 「おばんでした」(過去形)と言う。
親父が親戚の家に入るとき言ってた気がする。
僕より一世代上の世代の人たちは何となくそういうイメージがあります。
●しかし千歳市民にとっては千歳 - 羽田便が「東京 - 札幌」と表記されるのが少し悔しい。
成田は成田だもんね。
子供の頃は36号線を走るバスとかで行ってたな、空港。JRでは行ったことが無かった。
今ではJRでしか行かなくなった。
今の家から羽田行くより、実家から千歳行く方が時間かからないってのにびっくりしたことがあった。
東京ディズニーランドだってそうなんだから良いと思います。
●本州などで「降雪のため臨時休業」などのニュースを見ると、「たったそれだけで?」と思ってしまう。
思う。
骨折者とか出るの見て疑問に思う。
札幌市電はたくましいよ、雪をかき分けながら走ってたりするイメージがある。
●子供のころ、8月7日の七夕の夜になるとみんなで「ローソク出〜せ〜、出〜せ〜よ〜♪」と歌いながら一軒一軒まわっていた。
何?その儀式。
●「わやだ」が自然に口をついて出る。
意識してわざと使うことがあるねぇ。「わや」って案外通じるよ。
「わやくちゃ」とか全然通じる。
●しかし、養毛剤のCMに増毛駅が使われて恥ずかしかった。
別に思いません。
「マシケ」ってちゃんと読めるのかな?
●いくらの醤油漬けは家で作るもんだ。
腹で買ってきて普通に家でやる物ですね。ぬるま湯で解いていってね。
って僕はやりませんが・・・
店で売ってる奴は昆布醤油だけでパパっとやっちゃうみたいですが、お袋は昆布だしと薄口醤油でやってて、色も見事な物を作っていました。
ご飯何杯でもいけますね、あれ。
●内地のコンビニでおにぎりを買って「おにぎりあたためますか?」と聞かれないのにショックを受けた。
聞かれる?それ。
逆にセブンイレブンで「ポイントカードはお持ちですか?」って聞かれてびびったわ。
●内地のTVでパチンコ屋のCMが無いのを不自然に思う。
たしかに実家帰ると多いね、パチンコ屋のCMやらチラシ。
●地下鉄がきれいなのが自慢だ。
タイヤで走ることが自慢。
東京の地下鉄はうるさくて会話が出来ません。
だから走行中は無言で駅に着くと話し始めます(笑)
最近「ゆりかもめ」やらなんやら都内でもタイヤで走る系をよく見かけます。
札幌にいる頃は東京のモノレールがうらやましかった。
ほとんど「のりもの図鑑」でみる乗り物だったからね。
●冬になるとばーちゃんは、そりを持って買い物にでかける。
あんまり無かったな。
でも見たことはあります。
●冬は家の中からリモコンで車のエンジンをかけて、車を暖めてからでないと車に乗る勇気がない。
リモコンでエンジンがかかるような車じゃありませんでした、うち(笑)
でもエンジンかけて暖気しながら車につもった雪を落としていました。
東京ではあまりあのナイロンブラシの柄に凍り付いた氷をガリガリやる奴がついたものを見かけません。
●ご飯が炊き上がると「ご飯炊かさった」と言う。
炊きたてのご飯をかき回すことを「ほいやらがす」と言ってましたが、これは我が家だけだと言うことを知りました。
●HTBの「水曜どうでしょう」は必ずみている。
僕がいたときはやってなかった・・・(涙)
●棒ではなく、「ぼっこ」だ。
「ぼっこ」もそうだけど、何かの子供を「○○のこっこ」と言ったりもしました。
●バスは後ろのり、後払いが基本。
僕が高校の時に前のり先払いから後払いに変わったことがありました。
整理券取って値段が上がっていくのって、結構距離走るバスで見かける程度だったな。
●ゴミは「投げる」、てぶくろは「はく」ものだ。
手袋ははく物なのです。
寒い土地で使っている言葉だから「はく」が正解なのです。
●料理研究家といったら星澤幸子。
うわ、その人わかりません。
●赤飯は甘納豆を入れて炊くのが常識である。
いや、ちがうでしょ?

いやいや、北海道に関するバトンを見ても時代の流れを感じました。
そりゃそうだわ、もう東京出てきて19年だもんね、最近の流行なんて全然知らないよ。
すすきののビルの上に観覧車があったりしてびっくりしたよ、まったく。

2006年10月21日

ひっそりと大胆に!

「ラブレターの代筆できた?」

あら、また読まれたのね(笑)

いいです、皆さん、是非適当に読み流してやってください。
ある意味本当の僕がここにいます!!

会社の同僚、札幌のお袋や、近所に住む姉貴。
たまたま検索エンジンからやってきた方々。

ひっそりと大胆なこと書いていきますのでこれからもよろしくお願いします。

2006年10月19日

What is your most important thing?

残念ながらそれは僕にもわかりません。

ただ、今回答するならば、それは自分自身だとおもいます。でも、自分自身を自分自身であるために存在してくれる人、物、出来事すべてなのかもしれません。
また、そうあってほしいと思っています。

blog書く前の出来事に対して、自分自身で言い聞かせています。
僕を取り巻く環境、いろんな出来事が多すぎてちょっとキャパ超えてます。

玉突きの試合、是が非でも勝たねば!
強くならなきゃ! そう、強くならなくちゃ!! (笑)

 さて、今日一日の出来事でも書いて気を紛らすことにします。

 

昨日書いた「ラブレターの代筆」時間がかかりましたが、下書きができあがりました。
明日依頼主に確認してみようと思います。

僕は昔から企画書的な物を書くときは適当な反故紙に考えていることをとにかくたくさん書いて行きます。そして、言いたいことが書いてあるのかを見返したり、書き直したりを繰り返して行きます。

PowerPoint 2003 1 year スターター パッケージ そんなことをしているうちに枚数がどんどん減っていき、何となく書類って感じの体裁になったら出力用にPC(PowerPoint)に入力していきます。

ここのところ、そんなことを全くしていなかったので、時間がかかりましたねぇ。
しかもできあがったラブレターの下書きですが、読み返して恥ずかしい思いをするかもしれないので、明日依頼主に確認に出す前にこっそり読み返すことにします(笑)

 

あとモブログ!
昨日出先から確認することができるようにと、モブログ用のプログラムを導入したんですが、いきなりTESTしてみた書き込みを消そうとして、間違って記事の方を削除してしまいました。

一日分記憶喪失になります・・・

QR_moblog_url.gif まだ機能を持たせたってだけなので「携帯から自分のブログを見ることができます!」というだけの物ですが、よろしければ左のQRコードからアクセスしてみてください!

 

ショート・プログラム
はぁ、寝付けそうにありませんがとりあえず昨日買ったあだち充漫画でも読みながら横になることにします。

2006年8月25日

手紙、ポケベル、携帯電話、インターネット・・・

人と人とのコミュニケーション、物理的距離が離れてしまうと何かの媒体に頼らざるを得ません。
時代とともにその媒体は姿形を変え、今ではインターネット経由でテレビ電話みたいな事さえ当たり前に出来てしまいます。
僕はちょうど世の中のそんな媒体が激しく変化する時代を見てきたので、その時その時代の媒体をいろいろと使ってきました。もちろんポケベルも持っていた時期があります。
KOMINE(コミネ)手旗【コミネ/アクセサリーグッズ・その他】※ちなみに人間誰しも「私はその過渡期の時代を生きてきた。」と思う物らしいです。「のろし」や「手旗」なんて言うのも含めると、その時代には生きていませんね、僕。(でも僕ボーイスカウトだったので手旗の送受信、道ばたに石で残す伝令とか今でもたぶん出来ます・・・)

結局はコミュニケーションは媒体は何であれ、自分の意志をどのように人に伝え、そして人の気持ちを理解する受け手がいて初めて成り立つんだろうなぁ、と思いました。
良く言いませんか?会話はキャッチボールだと。喧嘩なんかはドッジボールですね、発する側はぶつけようとして、受けては逃げようとするだけです。これはコミュニケーションでは無いです。

最近、mixiを媒体に昔の仲間達とコミュニケーションをする事が多いです。
時の流れがここの媒体を経由した時だけあの時から変わっていないのではないか?と勘違いしそうになる程に昔と変わらない会話が出来ます。

玉撞きは一つのテーブルを媒体に会話します、「ナイスショット!」なんて言葉はむしろ装飾品です。

様々な物を媒体にして僕はいまそんなコミュニケーションを楽しんでいるんだと思います。
そして、そんな受け手に沢山支えられているんだと感じています。

2006年8月24日

時間調整のため・・・

ここのブログはその時感じている事を書こうと思っています。

今まで、その日の出来事を書き留めていたのですが、帰宅しPCに向かう時間がたいてい0時過ぎのため、時間調整をしていました。
簡単に言うと、実際に書いているのは前日の話。

そんな時間調整をやめる事にしました。

これは8月24日を大きく過ぎている、実際には8月26日の書き込みなのですが、これを最後に実時間で記載して行きます。

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