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2010年8月28日

ロケット発射!! 視界良好!!

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20100828_02.jpg昨日(今朝だなwww)日記に書いた通り、青森へ行ってきた。
そのブログでは"知人"と濁したけど、仕事で知り合った会社の社長さんとそのスタッフに会いに行ってきた。

この社長との出会いは振り返ると結構長く、この1〜2年は腹を割った深い付き合いをさせていただいていた。

価値観は十人十色で双方違う所にあるんだけど、目指すゴールが同じ方向を向いているという事から、方法論の出し合いというか、アイディアの出し合いというか、すごく楽しい。
多分外から見たら二人が話している様子ってきっと、子供がイキイキと今日起きた出来事を母親に「聞いて!聞いて!」って台所で話している姿に見えるんじゃないかな(笑)

そして、ここ1年くらいはその社長が運営する会社のスタッフの方と交流する事も多いんだけど、僕が感じている通りに、そして僕がこうあるべきという「上司と部下」の関係が出来ている事を見せていただく事が出来る。
僕が前職で「こうありたいなぁ・・・」っていう関係を作る事が出来たのは数名・・、いや一人かなぁ・・・。
たかだか1桁しか居ないスタッフとその関係性が作れなかったのは僕の技量の無さだな。

青森の会社の社長と会ったり、その会社のスタッフと会うと、そういう面で僕の器の無さを痛感させられます。

一番上の写真は帰路の飛行機から見えた雲。

積雲がいわゆる入道雲に成長していて、かなとこ雲って言うのかな?上が平になるほどに成長したくも。
上が平になってるって、これ以上、上空に成長したら雲が雲で居られない所に向かって成長しているために雲が上空で平らになっているやつらしいんだけどね。

果てしなく存在する上空を目指して果てしなく求めるんじゃなくて、身の丈に合った「雲で居られる所」を見極めてそこで広がって行く・・・

果てしない所を目指せと言われて自分が自分で居られなくなる程に成長しようとするならば、しっかりとその場所に自分を存在させて多方面に広がっていきたいなぁ・・・、って。

帰路の飛行機から見えた景色。
雲はそこにしっかりと存在していますが、視界良好でした。

青森なう。

夏休み最後のイベントとして、青森に来た。

もちろん全く用事がない訳ではなく、知人を訪ねてきた訳で。

知人と世間話やら、知人以外の会社のスタッフと社内で雑談後、いつもの感じで食事と飲みへ(笑)

耳の調子もあるんであまり派手に飲まなかったんだけど、それにしても量は結構いったんじゃないかな・・・

相変わらずなんだけど、楽しくて信頼出来る人と、その人を信頼する人たちとの時間はあっという間に過ぎる。

おいしく酒を飲みましたとさ。

さて、寝よう。
チェックアウトまでに起きなきゃ行けないしね(苦笑)

2006年8月25日

手紙、ポケベル、携帯電話、インターネット・・・

人と人とのコミュニケーション、物理的距離が離れてしまうと何かの媒体に頼らざるを得ません。
時代とともにその媒体は姿形を変え、今ではインターネット経由でテレビ電話みたいな事さえ当たり前に出来てしまいます。
僕はちょうど世の中のそんな媒体が激しく変化する時代を見てきたので、その時その時代の媒体をいろいろと使ってきました。もちろんポケベルも持っていた時期があります。
KOMINE(コミネ)手旗【コミネ/アクセサリーグッズ・その他】※ちなみに人間誰しも「私はその過渡期の時代を生きてきた。」と思う物らしいです。「のろし」や「手旗」なんて言うのも含めると、その時代には生きていませんね、僕。(でも僕ボーイスカウトだったので手旗の送受信、道ばたに石で残す伝令とか今でもたぶん出来ます・・・)

結局はコミュニケーションは媒体は何であれ、自分の意志をどのように人に伝え、そして人の気持ちを理解する受け手がいて初めて成り立つんだろうなぁ、と思いました。
良く言いませんか?会話はキャッチボールだと。喧嘩なんかはドッジボールですね、発する側はぶつけようとして、受けては逃げようとするだけです。これはコミュニケーションでは無いです。

最近、mixiを媒体に昔の仲間達とコミュニケーションをする事が多いです。
時の流れがここの媒体を経由した時だけあの時から変わっていないのではないか?と勘違いしそうになる程に昔と変わらない会話が出来ます。

玉撞きは一つのテーブルを媒体に会話します、「ナイスショット!」なんて言葉はむしろ装飾品です。

様々な物を媒体にして僕はいまそんなコミュニケーションを楽しんでいるんだと思います。
そして、そんな受け手に沢山支えられているんだと感じています。

2006年7月 1日

友達の名前を100人言えますか?

「友達100人出来るかな。」イトーキのランドセルセイバン天使のはね【R28】クラリーノF・レインガードα

うちの娘さん、来年小学生です。
まだ来年の4月の話なので、実感はありませんが早いもんです。
来年の今頃は体の大きさに微妙に合わないランドセルを背負い、背中それをで大きく揺らしながら学校に通うのでしょう。

そんな娘の成長はとても楽しみである反面、親の手を少しずつ離れて行ってしまう事が心配だし、寂しいし、微妙な親心です。

とはいえ、ぜひ友達100人つくってもらいたいもんです。

友達は自分を支えてくれる大切な人たちなのです。
6歳の娘には難しい話かなぁ・・・

 

さて、その30年先を行く僕、今36歳です。
友達100人、ん〜、居ません、きっと・・・

「友達」っていう定義がすでに難しいです。

今までの僕の人生、幼稚園や学校、そして転々とした職場。そして、 同じ趣味で集まる仲間。

その時、その時代、主に時間をともにする事が多い仲間とは様々な遊びを一緒にしますし、共有する時間はもの凄く多いです。 でも、僕その継続が苦手なのかもしれません。

ん〜、マメじゃないのかも。

高校を出てすぐに東京に出てきたから、高校時代の友人とは既にその時点で疎遠になってしまいました。
おそらくは一番僕自身を形成するに一番影響を得た連中だと思うんだけど・・・

2年間過ごした、いつもつるんでいた専門学校のときの連中と、玉突きの師匠。
いわゆる「友達」ってその範囲だなぁ、とか僕の場合思います。

職場の場合は共有する時間が多い分、話をする機会はすごく多く、常に僕はその環境の人に恵まれているのですが、やはり「戦友」的な位置としてとらえる部分が無いと言えば嘘になります。

今一番の友達、ん〜、娘かな(笑)

親父の見舞いに行った時に、すすきのに飲みに行く話になる事は良くあるのですが、主に仕事を得る為の接待、そしてその接待の為になじみの店を作る、それを目的にすすきのに足を運ぶ、なんて話を聞いた事があります。
いや、魅惑的な街すすきのですから、真意はわかりません(苦笑)、でもきっとそうだったのでしょう。何となくわかる気がします。

すべての責任を解放し、老若男女分け隔てなく、言葉遣いに気を使うところも無く、利害関係さえもない集団。とはいえ、感動と苦労を共有する事が出来る。

ん〜、僕の求めている理想の集団は、全盛期に僕が通った玉屋が一番なのかもしれないなぁ・・・

いやいや、最初に勤めた時の会社にも大きな影響を得た一つ年上ての先輩も居る。

その前の専門学校時代の連中の動向は気になるし、今の職場にだって素敵な人達に恵まれている。

 

お?結局は僕の捉え方なのか・・・?

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