一ヶ月以上あけて、ようやくブログ環境が復帰したので
復旧テストをかねて書き込んだブログを除けば、直前に書いていたのが5月26日。
おぉ、見事2ヶ月も間を空けていたのね、何かあったんじゃないかとご心配された方も居るでしょう。大変ご心配をおかけしてごめんなさい。
まぁ、人間、よほどのことがなければ、2ヶ月なんてあっという間で、これと言って大きな出来事なんて言うのは普通ないんだけどね。
ということで、会社を辞めます。
えー、この件に関しては語ると長くなるし、ある意味会社批判になりかねない内容なんで、書くのをやめておこうかな・・・、とも思ったんだけどね。
でも、毎回言っているようにこのブログを僕は遺言だと思っていて、書き残したいと思っているんで、ちょっとだけ言葉を選んでその気持ちを書いておこうと思いました。
さて、終身雇用という言葉が過去のものになり、スキルアップとか言う言葉のおかげで転職って言うのがそんなに珍しいものでは無い世の中です、今の時代。
僕も今40歳な訳で、自分の実力を活かした転職活動なんて言うのは多分人生最後なんじゃないかな、とか考えています。
で、この決断に至った理由・・・・
ん〜、一言で言うと「コミュニケーションに疑問を感じたから。ということになります。
人と話をする時、その人を理解しようとする時、僕は必ずその人の目を見て話を聞きます。それはもちろん「あなたの話をちゃんと聞いていますよ。」という意思表示でもあり、僕がその人の目を見るということは、相手も僕の目を見ているということなので、僕の言葉も相手に伝わっているんだと思います。
少なくとも、「○○だよね?」という問いかけに対して「うん。」という返事が返ってくることで、話した内容の一部でも相手に確実に伝わったということが確認出来ます。
いわゆるITの進化というテクノロジーのおかげでコミュニケーションの手段は格段に増えました。電子メールや、一時流行ったBBSと呼んでいたWEBの掲示板。
リアルタイムのメッセンジャーや、発信系のブログ、Twitter。そうそう、携帯電話もそう。
で、僕はテクノロジーが大好きだから、一通り手を出してみるんだけど、結局そのどれも人の目を見て会話って言うのができないんだよね。
もちろん、電話はその人の声を聞きながらコミュニケーションがとれるから、直接話すことと結果そんなに差がないんだけど、電話口ではケンカ腰になるのに直接あったらその腰が低い、なんて言う人もたくさん居る。
結局、腹を割って話ができてないんだろうね。
最近、メールで議論が交わされ、続きは会って話をしよう、って言う場があったの。で、いざMTGの時には結論を持って来いって言われたことがある。
あれ?議論するんじゃなかったんだっけ?って思った。
また、人への指示がメールでされ、その指示メールの5分後に同じ人間からメールが来て「まだできませんか?」ってせかされる。
おいおい、俺はあんたが送るメールをリアルタイムで見ないと行けないのか?って本気で感じた訳。
で、そのメールに指示の回答を送ったら「了解」って2文字のメールで返信されてくるの。
これって、人としてのコミュニケーションが雑すぎると思うんだよね。
この数ヶ月、これに疑問を感じすぎて、ちょっと短気な時期があってちょいちょい切れることがあったのね。
1)○○お願いします。
2)まだですか?
3)仕事やる気無いんですか?
この3通のメールが来るまでに要した時間が10分程度。
さすがの僕も切れて内線で「人にものを頼もうとする気持ちあるんですか?人に内容を伝えようとする気持ちはあるんですか?むしろ一方的に投げつけるだけの姿勢で仕事する気あるんですか?」って怒鳴りつけた。
年齢は僕より下だけど、立場としては全然上。
でも、僕はそれが我慢出来なかった。
そしたら、電話口でモゴモゴと何か言って、適当にきられた。
で、「先ほどは大変失礼しました。」っていう一行のメール・・・
こんなやり取りが、その人だけではなく、どんどん全社的に広がり、しまいには普段のコミュニケーションをすべて英語でやれと・・・
英語ができることで世界が広がることは僕だって認識している。ただ、会社のトップが週に一度、役員を一堂に会して開催される予算会議という場で、多くの役員が居眠りをしていて、また時々英語で展開されるジョークに半数が笑っていない状況・・・
理解出来ない方が悪い、リアルタイムでメールを見て居ない方が悪い。
コミュニケーションって、本当にそれで良いのかな。
とある役員が「できる社員はまめに1行だけのメールを送ってくるやつだ。」って書いてて、その役員に「以前報告した件ですが・・・。」って話をしたら「山のようにメールが来てるんだ、そんなの見てられるか!」って言われた。
誰しもがコミュニケーションの重要性を理解しているにも関わらず、どんどん自分勝手な方法論を相手に押し付ける手段を選択しようとしている。
いわゆる「かっこいいビジネスマン」になりたいって有名企業の社員は思っているんだろうけど、コミュニケーションもできない連中が増えすぎている。
極論を言うと、挨拶さえできないのと同じだと思うんだよね。
ぼく、最近わざと会社で「愛」という言葉を多用するようにしています。
うちのスタッフには「愛しているからこそ無茶な残業をしてほしくない。」「愛しているからこそおいしいものを一緒に食べたい。」って本気で思っているから。
でも、そういう方法論を選んでいる僕を会社は愛してくれませんでした。
お前のようなやつが居るから会社が迷惑している・・・、と。
若年層による大きな事件があると「コミュニケーション不足」とかが取り沙汰されているのに、おそらくはそれを取り上げる大人たちがコミュニケーションの仕方をはき違えているんじゃないかなぁ・・・、って思うことが増えすぎた。
恋愛だってそうだと思う。例えば大好きな相手とは一緒にいたいと思うし、同じ楽しみを共有したいとか思うはずなんだよね。
楽しいことも、辛いことも共有したい・・・、ってね。
一方的に「好きだ!」「一緒にいたい!」って言い続けても相手のリアクションがわからなくて、そのリアクション欲しさに不法侵入、場合によっては「僕だけのものにしたい!」なんて言って歪んだ愛の形が殺人事件にまで発展したりする。
僕は今の環境に危機を感じていて、歪んだ理解されているコミュニケーションの手段が主となってしまった組織に愛想を尽かしてしまった訳。
僕が今この会社を去ろうとしているのはそこ。
みなさん、どんどん人としてのつながりを失ってください、本当に大事な事を一方的に押し付け合ってください、って言う所。
組織のあり方を今矯正しないと、本当遠くない未来に「挨拶もできない奴らを大量生産するよ。」ってね。
って、こうやってブログに勝手に自分の思いを書いている事も全く同じだろ、って自分自身にも言い聞かせていたりするんだよね。
コメント
心中お察しいたします・・・
「コミュニケーション不足によるトラブル」は困りものですが、
その大半が「コミュニケーションの能力不足によるコミュニケーション不足」だったりするのでより困ったものです。。。
携帯の電波が届かないところで作業しているのを知っているはずなのに、急ぎの案件を携帯メールで送ってくるってどうよ?とかね(^^;)
投稿者: mog | 2010年7月27日 14:09