喜怒哀楽
調布府中から渋滞の中に突入するとき、ドアミラーに後方にまだまだ連なる渋滞の列が写り、さらにその奥に青空の中に凛とした富士山が見えた。
いいなぁ、って感じる瞬間。
駐車場から目的地に着くまでに、小さな子の喜ぶ姿や、小さな子をしかる親、知人の死に涙する女性と、新人研修中で仲間と楽しい未来を夢見るフレッシュマン。
なんだかものすごく短時間に人の感情をみることになった。
朝に富士山を見て、なんか心のマッサージを受けたなぁ・・・、なんて思っていたことさえ忘れかけていた夜、メッセで開発担当のスタッフと雑談めいた打ち合わせをしていたとき、「○○さんは本当、顔に出さないですよね。」って言われた。
これ、もうちょっと若いときは褒め言葉のつもりでそれを聞いていたけど、この歳になると人前で感情をあらわにできないって言うことに、ストレスが溜まることを感じていたので、複雑な気持ちになる。
感情を表に出す人もいるけど、そういう人って、両極端に愛されるタイプと嫌われるタイプにわかれるような気がする。
子供がおもちゃを欲しがる姿や、好きなアニメのオープニングに合わせて歌って踊る姿ってかわいいよね。愛情を注ぎたくなる瞬間。
僕のこれからの目標は、欲しいものを欲しいとだだをこねることや、嫌いな野菜をおいしくないから食べないと言った、感情を表に出しても罪にならない範囲を、頭で考えることなく表に出せる大人になることかな。
とてもいい笑顔で喜んでいた子、もっともっと楽しめ!
子供のわがままをしかっていたお母さん、自分のストレスを子供にぶつけず、躾としてしかってあげてね!
知人の死を悲しむ君。まずは故人を想い、思い切り悲しめ、そして現実を受け止め立ち直れ!
未来に夢を感じているフレッシュマン、これから訪れる辛い現実も知り、そしてその現実を楽しめ!
そして何よりも俺!抑えなくてもいいことを抑えるな、でも感情的にはなるな!
不惑の40、がんばれ、俺!
コメント
故人が本当に亡くなる時は、誰も思い出さなくなるとき。
それを思えば、現実として受け止めることが出来るかも。
投稿者: cube | 2010年5月17日 23:50
cubeさん
また書き込みいただいてありがとうございます。
なくなった人を、あたかも「昨日会った時さぁ・・」みたいに話す人もいますもんね。
かっこつけて言うなら「亡くなった人なんだけど、周りの人の中でしっかりと生きている」っていうことなんでしょうね。
親父がよく「人は200年生きる」って言ってました。
僕も200年生きることができるようにがんばります。
一方で、生きてその場にいるのに思い出されない人。
命はあるのに亡くなっちゃってるのかもしれませんね。
存在をどれだけ回りに認知されているか、簡単に言うと愛されているのかって言うのが生き続けるには重要なんでしょうね。
深いです。
投稿者: 管理人 | 2010年5月18日 00:41