父親
週末親父が遊びに来た。
正確には用事があって上京してきたんだけど、まぁ、遊びに来たようなもんだ。
当たり前の話だけど、親父という物はいつまでも自分自身の親であって、追いかけても追いつかない存在だと息子の立場では思っている。
社会人として、親として、そして男として。
でも、経験値は違えど、ある意味近づいてきている部分もほんの少しだけあるとは思っている。
そりゃそうだ。
俺が1歳の時、親父は俺の34倍もの人生を経験してきているけど、今となっては親父の年齢の半分を超えている訳なんだからね。
親父がこれから先27年生きていたら100歳になって、その時自分は67歳。
今の親父の年齢には届いてないけど、追いかけてる親父の約7割までは到達出来るわけだ。
って、数字の話だけだけどね。
土曜日、上京してきた親父を羽田まで迎えに行って、親父が青春時代?を過ごした尾山台の大学に一緒に行ってきた。
当然のことなんだけど、親父がその大学を卒業してから50年も経てば大学の建物も街の景色も全く変わってしまっていて、必死にその街をうろうろとしながら、少しでも昔の景色を見つけ出そうとしている親父を観ていて可愛らしいなとさえ思えた。
また、そんな親父を見ていて自分も昔の景色を70過ぎたら探したいなと思った。
結果的に親父は、うろついた街には昔の景色を見つけることが出来なかったけど、安い給料から捻出した飲み代を持って遊びに行くときに抜け道に使っていたという久品仏だけ懐かしんでいた。
ああいう歳の取り方っていいなって、息子から見てもうらやましいと思えた。
尾山台で親父が中学生を捕まえて「このあたりで、坂を登っていくと駅に通じる道ってどれだ?」 って聞いている姿には「おいおい、平成産まれ捕まえても最近のことしかわからねぇよ!」ってつっこみそうになったけど、そこは息子として抑えておいた(笑)
で、今回親父と尾山台をうろうろしててまた新しいつながりを見つけることが出来た。
「ゴジラ、ゴジラ、ゴジラとメカゴジラ」と小さい頃に勝手に歌詞をつけて歌っていたゴジラの曲を作曲した伊福部昭という日本を代表する大作曲家。
そんなに表舞台に出てくる事を好まなかったのか、伊福部昭の名前を出しても知っている人は少ないかもしれない。だけど、伊福部先生という人は間違いなく世界に通用する作曲家だ。
たまたま学生時代に伊福部先生の弟子、和田薫先生という作曲家と知り合う事が出来て、その後もたまたま勤めた会社の社長が和田先生とたくさん仕事をする関係で、ちょこちょこと付き合っていただいていた。
で、その和田先生が崇拝してやまない、伊福部昭という巨匠の奥様が、僕の血筋の人だったんだって事を、今回の親父の思い出探しで知ることが出来た。
親父が尾山台で「この辺に『伊福部』さんってお宅は無いですか?お名前は『昭』さんって言うんです。」って聞いている姿をみて腰抜けそうになった。
伊福部先生はすでに亡くなられてしまったんだけど、一度だけ仕事でご一緒させていただいたことがあった。
「土俗の乱声」って言う映画のダイビング作業をしているときに、録音済みの楽曲を聴きながら突然立ち上がり、映像を見ながら指揮をされていたのが印象深いなぁ・・・
その時は正直言うと「録音済みの音楽に指揮振っても意味ねぇじゃん、ぼけてんな、このじじい。」って僕は思っていた。すでに高齢だったしね、その時の伊福部先生は。
でも、作品への思い入れ、楽曲と映像が融合した瞬間に「立ち上がら無いでは居られない、指揮を振らないでは居られない」という魂がこもった作品だったんだなって、今は感じ取ることが少しだけ出来る。
自分は、人に恵まれた人生を過ごしているって思って居るんだけど、競馬馬でもの凄く有名な社台牧場の吉田善哉という人間や、伊福部先生の奥様とはいえ遠い血縁関係があったということが、それなりに自分の好奇心の範囲にあって、その好奇心を作り出す根源が血のつながりにあって、人のつながりを作るっていうこともあるんだな、って深いところで感じることが出来た。
だって、和田先生だって偶然僕が通った学校の先生で、勤めていた会社の社長との出会いも偶然で、そこにつながりがあったってことも奇跡でね。その社長をごひいきにしてくれていた札幌のJAZZバーで歌っていた人の友人がお袋の同級生だったりして。
もうね、なんて表現したら良いかわからないけど、いろんなところでいろんなつながりを見つけることが出来て、鳥肌立ちっぱなしな感じ。
これって偶然って言ったら簡単だけど、きっと血とか縁とか、ひょっとしたら運命って言うほど大げさでは無いにしろ、人が一生のうちに知り合える人間のつながりって、もの凄く広いように思えるけど、実はつなげたらつながる範囲にあるのかなぁ・・・、とか感じた。
あらためて、「俺は人に恵まれていて、つながりがあるんだなぁ。」って感じることが出来て、そのつながりを大切にしないといけないんだなぁ、って思うことが出来た週末だった。