コミュニケーション
世の中にはいろんなコミュニケーション手段がある。
おそらくは普段のコミュニケーションが密になればなるだけそれに要する時間は短くてすむんだけど、普段のコミュニケーションを雑に扱っていると非常に重要なことを伝えたくても伝わらなくなって行ってしまう。
これってものすごく当たり前の事だけど、どれだけ相手を信用して、あぁ、あの事だな・・・、と瞬時に察知できるって言うのは一朝一夕でできるものではないということも当たり前に理解されているもの。
会社は利益を追求する組織であって、部活動の場ではない。
ここのところ、なぜ俺はこんなことに頭や気を使わなきゃいけないんだ?と本気で悩むような出来事ばかり。そして自分のリーダーシップの無さにさらに悩んでしまう始末。
自分自身が負のスパイラルに陥ってしまっているようでは現状を打破することはできないということを理解しているけど、この歳になって何やってんの?って思うような出来事ばかりだから余計たちが悪い。
組織に属している自分の業績を上げて出世したいと思ったとき、二つの方法があると僕は思っている。
ひとつは自分のチーム全体で業績を上げ、「あなたがいないとこの結果は出せなかった」とチーム全体から評価され自然にそのポジションに押し出される方法。
そうしてもうひとつは、自分にとって邪魔な人間を徹底的に排除して行き、結果的に自分だけを存在させる方法。
でもその二つの方法は結果の差があきらかで、前者は確実に前に進むけど、後者は良くて現状維持、普通なら後退の一途をたどる結果となる。
少なくとも組織というものを考えた場合は確実に後退している。
もっと簡単に言うと、前者は一人が出世の道をたどったとしてもそのものはチームみんなに感謝の気持ちを持てるんだけど、後者は次に進みたくても仲間を失っているためそこまで終わってしまう。
他人を陥れることと、叱咤激励は外から見ると同じように見えるかもしれないけど、中身はぜんぜん違うわけで、当然結果も明らか。
昔書いたかなぁ、判断の基準って表現が違っても内容は同じなんだよね。
子供のころは好き嫌いが基準。
学生気分な時代は良い悪いで判断し、社会人になると正しい間違っているで判断していく。
そして最近は組織を構成する側に立つようになって、正しいと伝えられる、間違っていると伝えられる、というのもあるな・・・、と感じている。
そして、正しいと伝えられたものを理解することができればそれを遂行すれば良いし、正しいと伝えられることを間違っていると判断したり、間違っていると伝えられたことに理解を示すことができないのであればその組織が自分にあっていないのだと判断すればよい。
もちろん、そのある物事を正しいと伝えようとした場合、日ごろからのコミュニケーション次第では「風が吹いたら桶屋が儲かる!」といった途中を大幅に割愛しても伝わるんだけど、日ごろのコミュニケーションを雑にしていると「風が吹くとね砂が舞うでしょ。そしたら目が悪くなっちゃう人が多くて三味線弾きがふえるの。そうするとね、猫が減っていくからねずみが増えてしまって、そのねずみが桶をかじっちゃうわけよ。で、結果新しい桶が必要になるから桶屋が儲かるって言うすんぽうさ!」って説明しないといけないし、場合によっては「え?何言ってんの?目が悪くなっちゃった人はあんまさんになるんじゃないの?」っていう、別理解とともに否定的な意見を産んでしまい、結果同じ方向を向くことが出来ない状態になってしまう・・・。
はぁ、ちょっと疲れちゃってるなぁ、自分。
また早く上がれる日、飛行機眺めに行かなきゃだわ。