人に恵まれた人生を得ることが出来たことが僕の一番の財産
松下幸之助が新人を面接するときに、「あなたは運がいい方でしたか?」と訪ねていたらしい。
そんなテレビを見ていたときに、良くあるパターンでCMに入った。
CM中、自分ならどう答えるかな?とほとんどの人は考えるでしょう、自分も同じ。
僕はきっと即答で「はい!」と答えるだろうな、とか思いながら、でもそう答える奴がほとんどだろうから、そうやって僕は面接に落とされるんだろうなぁ・・・、とか考えていた。
CMあけ、そのコーナーで最初に出てきた再現VTRでは「僕はあまり運が良い方ではありませんでした。」と答えた青年に向かって、今まで真剣に聞いていた顔が急にゆるみ「そうでしたか。」と満面の笑みで松下幸之助(役のひと)は答えていた。
で、次の青年は「はい!僕はもう運だけで今ここにいるような感じです!」と答え、そうしたら真剣な顔が急に厳しくなり、「ほう、じゃ、ここにいるのは君の実力では無いと?」と問いかけ始めた。
青年は「はい、僕は本当に人に頼ってばかりで助けられて・・・」と自分を語り始めた。
さぁ、どちらが採用されたでしょう?
僕の書き方が下手だからもうわかると思うけど、運が良いと答えた方が採用されたという話だった。
まぁ、あぁよかった、とか思っていたんだけど、松下幸之助の判断は単純明快だった。
人に頼ることが出来て、人に助けられることを知っている、そんな人間は、人に頼られる事が出来て、人を助けられる人間になることが出来る、と言うことらしい。
なるほど、簡単な事だけど深い。
人を傷つける事しかできない人間は恐らく人に傷つけられて育ったんだろう、そして人に優しく接することが出来る人間は、人に優しく接してもらえてきたんだろう。
白と黒を分けるとき「正しい、間違っている」と言った客観的判断と「好き、嫌い」という主観的判断。もちろん、達観した不惑の価値観を持った人間なら好き嫌いの判断が誰しもが認める正しい間違っているという判断を産むんだろうけど、実際なかなか「正しい、間違っている」という判断はつけにくい。
僕は本当に運が良くて人に恵まれまくって今まで育ってきたため、今ひとつ人に厳しくなることが出来ない。結果、自分にも厳しくすることが出来ないという感じ。
親父に「もの凄く世話になった人が亡くなったとき、例え金が無くて立派な香典を出すことが出来なくても、下足番でも何でも感謝の気持ちで返せ。」と言われ続けた。
恐らく親父は厳しく育てられた反面教師で人に情を持って接することを体得した人間なのだろう。
お袋には本当にかわいがってもらったし、40目前になっても「ちゃんと食べてるか?」「風邪はひいてないか?最近寒いから布団を一枚多く出して寝ろ!」みたいな心配をかけてしまう甘えん坊な訳だ。
とはいえ、「好奇心が服を着て歩いている」とまで親戚に言わしめた僕の今の性格の基礎は、おおかたお袋に植え付けられた物だ。いまだに興味を持ったことはとことん調べてやってみる。
7つ違う姉貴にも本当かわいがってもらったし、もう、僕を構成する一番身近な人たちに一番運をもらってここまで育った感じだ。
いや、何を言いたいか酒が入ると訳がわからなくなるんだけど、結局、僕は本当に人に恵まれていると思いまして。
そして、昨日見に行った最愛の娘さんの運動会での姿、たくましく成長している様子を見て、少なからず、僕が受けてきたたくさんの人たちからの愛情のちょっとこぼれた分を、ちゃんと娘さんは拾ってくれているな、と感じまして。
僕自信がたくさんの人からもらった愛情と運を僕なりに咀嚼して与えてあげたら、いざ娘さんが親になったときに、さらにたくさんの人からもらった愛情と運を自分なりにこれまた咀嚼して子供に伝えてくれるんだろうなぁ、と思いまして。
会社でもそう、趣味の仲間でもそう、もちろん両親姉といった家族からもそう。
僕は本当に恵まれた環境で育ったな、と何となく思いましてね、こんな事を書いてしまいました。